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2016/02/04

Memo

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1.パイプ関連の年譜
2.ハンドメイドパイプの系譜
3.ブライヤーの産地
4.銀巻きのホールマーク
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<1.パイプ関連の年譜>

  15世紀 :コンキスタドール時代。15世紀初頭、既に中南米では喫煙文化が存在していた。
  1492年 :コロンブスがサン・サルバドル島のアラクワ族の吸うタバコをヨーロッパに持ち帰った。

  16世紀 :大航海時代。世界にタバコ文化が広がる。
  1525年 :スペインの船乗りがクレイパイプで喫煙した記録がある
  1543年 :日本でも南蛮貿易でタバコを輸入の記録。
  1560年頃:イギリスにタバコ喫煙が始まる
  1596年 :ポルトガル使節団により日本にタバコが持ち込まれる
 
  17世紀 :バロック時代。全世界にタバコは薬としてひろまる
  1600年頃:フランスのメディシス王妃は頭痛薬としていた
  1600年頃:伊達政宗は毎日に4度決まった時間に喫煙をした記録(全長68cmの大きなキセルが現存)
  1603年 :カンボジアからキセルが日本に伝来(江戸幕府誕生)
  1612年 :ジョンロルフがバージニアで栽培を始める。
  1615年 :ロンドンには、パイプ製造会社62軒・タバコ葉販売店7000軒の記録。
  1660年頃:ニューカッスル公爵によりキャヴェンディッシ製法が確立
  1685年頃:日本各地にタバコ店が誕生
 
  18世紀 :啓蒙時代。ヨーロッパ全土に嗅ぎタバコがひろまる
  1700年頃:ルイ13世が「鼻から煙を出すのは下品だから禁止」嗅ぎタバコを使用のおふれ
  1717年 :スペインのフェリペ5世が植民地キューバにタバコ栽培と専売制を導入
  1720年 :メシャムでパイプ作る
  1740年頃:江戸時代の日本でキセル用の刻みタバコが流行
  1760年頃:平賀源内が世界初のライター「刻みたばこ用点火器」を発明
  1776年 :アメリカ合衆国の独立
  1790年頃:フランス革命により王権が倒れたことで嗅ぎタバコからパイプタバコに戻る
  1792年 :イギリスのサミュエル・ガーウィズ社創業
 
  19世紀 :産業革命時代。ヨーロッパ全土に葉巻がひろまる
  1808年 :ナポレオンがスペイン侵攻し、葉巻が手軽だということで欧州に流行が広まる
  1825年 :コモイ創業パイプを販売
  1827年 :英化学者ジョン・ウォーカーにより摩擦マッチが考案
  1848年 :サンクロードでコモイ社がブライアーをパイプに使う処理法を確立
  1850年代:フィリップ・モリスがロンドンで小さなタバコ店を開業
  1854年 :ロンドンでBarlingを筆頭にBBB・Comoy・Charatanがブライアーパイプを商品化
  1866年 :オハイオ州において突然変異種からバーレー葉が誕生
  1869年 :H.ティブ・アンド・サン社ヘンリー・ティブがコーンパイプを販売
  1870年代:ラタキア製法(北部シリア)とペリク製法(米国)が確立
  1872年 :明治元年
  1876年 :米国ジェームス・ボンサックが自動紙巻機を開発
  1878年 :パイプにエボナイトが使われ始める。英国の発明だが第一次大戦までドイツが独占する。
  1890年 :アメリカ250社のタバコ企業連合(トラスト)で「アメリカン・タバコ」を設立。
 
  20世紀 :技術革新と大戦の時代
  1901年 :アメリカンタバコに対抗し、イギリス大手13社で「インペリアル・タバコ」を設立。
  1902年 :英米は国際カルテルを組み「ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)」を設立。
  1903年 :銀座に菊水創業
  1904年 :日露戦争
  1912年 :反トラスト法により「アメリカン・タバコ」は解体。
  1912年 :大正元年
  1914年 :第一次世界大戦(-1918年)
  1915年 :銀座に佐々木創業
  1919年 :米タバコ・プロダクツ社が英フィリップ・モリス社を買収
  1920年 :米国で第一次パイプブーム(-1940年頃まで)
  1924年 :世界恐慌
  1926年 :昭和元年
  1930年代:モール(Pipe Cleaner)が普及
  1939年 :第二次世界大戦(-1945年)
  1945年 :冷戦-(1989年)
  1955年 :米国で第二次パイプブーム(需要増だが高品質ブライアーは枯渇)。
  1960年 :英国経済の悪化と国際競争力の低下。英国病と言われる(-1979)
  1962年 :アルジェリア独立でアルジェリアブライアーの流通を停止
  1970年代:イヴァルソンを筆頭に、ダニッシュパイプがブームになる
  1975年 :日本でパイプブーム
  1970年末:アルジェリアン・ブライアーの最後の販売会社が倒産する。
  1972年 :米フィリップ・モリス・インターナショナルが世界最大タバコ企業になる
  1973年 :第1次オイルショック
  1979年 :第2次オイルショック。
  1980年代:北米でのパイプ市場は急激に落ち込み、パイプ工房の多くが倒産する
 
 
 ・Barling
  1812年 :銀細工一族のベンジャミン・バーリングがメシャムパイプに銀細工を始める
  1854年 :ブライヤーパイプの製作を開始。二代目は2人の息子EdwardとWilliam。
  1935年 :サドルビット採用。クロスロゴの裏にREGD DESIGNとPAT番号(-1949)
       :アーチ状ブロック体ロゴ、GuineaGrainは筆記体で(Barling's)
  1940年頃:2~3桁のニコルスシェイプ番号.(1xxxもOK)(-1962)
  1943年 :サイズコード採用:L,EL,EXEL,EXEXEL,LF,LLF(-1962年)(SS,S-Mは要コード確認)
  1950年代:クロスロゴの裏にBARLING DESIGN(-1968)
  1952年 :Transitionのフィンレイ氏から資金を受け始める
  1954年 :アルジェリア独立戦争によりブライアの商流を失う。ぎりぎり高品質時代
  1960年 :10月Transitionが株主となるが、経営はバーリング家に任せる。
  1962年   :娘婿で最後のウィリアム・バーリングが退社。チャラタンに移籍。
       :モンタギュー・バーリングも社長を辞任し、Transition経営陣が引継ぐ。
  1963年 :Transitionはインペリアル・タバコに買収され、バーリングも傘下に入る。
       :アーチ状ブロック体ロゴ、2以降で始まる4桁ナンバー(-1968年)
  1968年 :ストレート筆記体ロゴ。Barlingで後ろに「's」がないので判別可。
  1970年 :2工場を閉鎖し、チャラタンなどOEM販売に変更する。
  1979年 :インペリアルはバーリオングのパイプ生産を終了する(ベンジャミンが草葉の陰で泣いてる)
  2004年 :英国マン島に「Barling Pipe Ltd」という名前を継承した会社があったが倒産
       :イギリスの名門バーリング社は192年の歴史をもって幕を閉じる。(-人-)
 
 
 ・Butz-Choquin (Berrod-Regad)
  1858年 :サンクロードでジャン・バプティスト・ショカンと義理の息子ガスターブ・ブッツが創業
  1875年 :ルシアン・レガーが加わろる。
  1888年 :アーサー・ベローが加わりBerrod-Regad社となる。従業員は約30人。
  1951年 :「ブッ・ショカン」をブランド名として採用する
  1970年 :フランス政府から輸出貢献企業としてオスカー賞を授与
  1972年 :日本への輸出が始まる
  2019年 :9月13日閉業。創業から160年の歴史がありましたが、残念ながら財政難で倒産。
 
 ・Comoy (Chacom)
  1825年 :世界最古のパイプメーカーがフランソワ・コモイ(Francois)により創業
  1848年 :フランソワと息子ルイス(Louis)によりブライアをパイプに使用
  1850年 :アンリ・コモイ(Henri)が生まれる。
  1856年 :ブライヤーパイプの商品化される
  1870年 :普仏戦争で捕虜になったアンリが、収容先で従兄弟シャルル・シャプイと合う。
  1879年 :アンリがロンドン・ケンブリッジサーカスに会社を移転する。
  1880年中:クラークケンウォールのニューキャッスルに工場を竣工する。
  1913年 :ローズベリー通りに新工場を追加する。
  1914年 :H.Comoy&Coの名称で会社登録する。アンリの息子のポール(Paul)とエイドリアン(Adrien)も参加
  1920年 :Old Bruyere、 Virgin Briar、 Extraordinaire発売
       :アーチ状髭付きComoy's刻印(-1940年中頃)
  1921年 :アンリ・コモイ他界。享年74歳。後継フランソワの息子のルイスとチャールズが就任
  1922年 :甥のルイ・シャプイとシャルル・シャプイが「Cahpuis Comoy」を開く。
  1925年 :シェイプ番号刻印開始。前期Tradition発売
  1928年 :仏Cahpuis Comoy社はChacom社に変更(1957年Cahpuis Comoyは復刻する)
       :Comoyは、ロンドン生産のパイプ会社に移行する。
  1929年 :カドガン・グループに合弁参加
  1930年 :Royal発売
  1933年 :Grand Slam(-1973年)発売
  1938年 :バーロゴ(-1945年頃)、 Blue Riband発売
       :刻印の"MADE"と"ENGLAND"の円の中に"IN"追加
  1939年 :戦時下は小さな工房を除き、パイプ製造を中止する(-1945)
  1940年中:直線髭なしComoy's刻印(-1950年初まで)
  1945年 :Chacomとは、完全に別路線の会社となる。
  1947年 :London Pride(-1975年)発売
  1950年 :アルダーショットに新工場を建て生産体制を強化する。
  1950年代:後期Tradition(-1960年代まで)
  1950年初:直線髭なしComoys刻印(-1960年中まで)
  1960年 :ステムビットの厚みが増す(ここまで3.3mmm超極薄の仕上げだった)
  1960年中:直線髭付きComoy's刻印(-1975年)
  1964年 :エイドリアン・コモイ他界。息子のピエール・コモイ後継者になる
  1975年中:Cロゴの3 part inlayやめる
  1980年初:カドガングループに買収され凋落する。(アンリが草葉の陰で泣いてる)
 
 ・Charatan [Upshall]
  1849年 :フレデリックCharatanはオーストリアで生まれる。
  1863年 :フレデリックはメシャムパイプを彫るパイプ店を開く。パイプは小型。
  1887年 :ルーベンCharatanはミルエンドで生まれる。
  1910年 :二代目ルーベンCharatanは家業を引き継ぐ。パイプが大型が多い。
  1918年 :フレデリックCharatan他界(享年72才)。
  1930年頃:NYのWally Frankが正規代理店になる。
  1955年 :ハーマンG.レーンだ販売権を得る。一部[L]刻印を開始
       :小規模高品質生産から北米市場ターゲットの大量生産体制になる
  1960年 :ルーベンCharatanが他界(享年85才)
       :北米市場向けにモデルを増やし、一部[L]を刻印。
  1961年 :[MADE BY HAND][L][DC][x]の刻印とサイズコードの追加。CP刻印が少し太くなる。
  1962年 :ルーベンCharatan他界(享年75才)。
  1963年 :ルーベンの妻エスターはレーン社に売却。
  1964年 :BenWade(1860年創業)を買収。
  1965年 :Nichols Williamson Barlingがチャラタンの社名でパテントを出している。
        :この年の6ヵ月だけ筆記体の[MADE BY HAND]刻印が楷書体。
  1970年代:Preben HolmパイプにBen Wadeの名で販売。(-1988年)
  1977年 :Dunhill社に買収さるが、生産体制は継続し「L」刻印や「重複CP」は1982年まで続く。
  1978年 :CharatanマネージャのBarry Jonesが独立し「Tillshead(ジェームス・アプシャル)」を創業。
  1982年 :独立工場閉鎖し2ndラインへ。一部はフランスの3rdラインへ。(ルーベンが草葉の陰で泣いてる)
  1987年 :Lane社を英ロスマンズに売却する。(ハーマンも草葉の陰で泣いてる)
  1988年 :パイプ作家2名による少数高級生産路線に戻す。(リチャード・ダンヒル社長就任のおかげ?)
  2012年 :Barry Jonesが引退し、アプシャルが閉店する
 
 
 ・Dr.Grabow
  1932年 :シカゴ郊外のRacineに工場を建て、生産と販売を開始する
  1932年 :Pre-Smokeというブレイクインが不要のパイプを販売する
  1943年 :ノースカロライナにスパルタに生産拠点を移す。
  1949年 :社名を「Linkman&Co」から「Grabow Pipe Company Inc」に変更。
  1952年 :リンクマン社長(80歳)辞任。
  1953年 :パイプ生産は、Thomas (HLT),Incという会社に移管する。(分社化?)
  1965年 :グラボ―博士他界(享年97歳)
  1969年 :US Tobacco に買収される。
  2000年頃:Lane Ltd. に買収される。
  2006年 :スパルタ工場で従業員62人で年間30万本生産している(工場見学可)
 
 
 ・Dunhill [Ashton][Ferndown]
  1872年 :アルフレッド馬具製造業の家に生まれる。(Alfred, Herbert, Thomas)
  1887年 :15歳で父の仕事を手伝う職人になる。
  1893年 :父の家業を継ぐ
  1902年 :自動車アクセサリ「ダンヒル・モートリティーズ」の店舗をConduit通りに開く。
  1905年 :業界最大手に上がるが、投資家や部下と折合いがつかず商売から手を引く。
       :次に小さなパテント・オフィスを開き、特許関連の商売を行う。
  1906年 :末娘のメアリーが生まれる。後の四代目社長。(Alfred Henry, Vernon, Jack, Mary)
  1907年 :7月7日(日)デューク・ストリート31番地に高級グッズとタバコの店舗を開く。
  1910年 :チャラタンからサシエニ氏をヘッドハンティングしてBruyereを開始する。(41歳の春)
       :工房はデューク・ストリート28番地
  1912年 :サシエニ氏に長男が生まれアルフレッド・サシエニと名付ける。(ダンヒルの長男もアルフレッド・ヘンリー)
       :新たにメイソンズ・ヤードに工房を構え、ホワイト・スポットを打ち始める。
  1913年 :パテント番号開始。この頃までBBBがターニング工程を行い、フィニッシュのみ行っていた。
  1914年 :第一次世界大戦勃発。
  1916年 :キャンプデンヒルロード186に新工房を開設。
  1917年 :Shell発売。パイプは一事業部となり高級ブランド会社として業績を大きく伸ばす。
  1919年 :サシエニ氏が独立。
  1920年 :ダンヒルは郊外に工場を設立。一年間の製品保証を刻印
  1921年 :ウインザー候エドワード8世により、ロイヤルワラント(英国王室御用達)を授与。
       :ニューヨーク五番街とパリに国際店舗をオープン。
  1922年 :2ndラインとしてパーカーを創業。
  1923年 :ダンヒル社株式上場。娘メアリー(17歳)が入社。出社もあまりしなくり、家庭も不和激化。
  1924年 :ダンヒルライターを製造。他にもアクセサリーや衣類、香水など、紳士向けブランドになる。
        :デューク店で年間26万本のパイプを販売を記録
  1925年 :パーカーにもdate code追加。(-1957)
  1928年 :ダンヒル社を離れ隠居する(56歳)。弟のハーバードが二代目社長就任。
  1930年 :愛人ベラミルドレッド・ライト(1902-1976)と出奔。非嫡出子もいたそうです。
  1931年 :Root Briar発売
        :松田権六(漆芸で人間国宝第一号になる)がダンヒルで漆芸の技術指導。
  1936年 :Hardcastle社(1908年創業)の株式49%を買収。(1946年に100%買収)
        :ウォルサムストーのHardcastle工場と併設し生産工場を立てる。
  1938年 :工場長の次男ヴァーノンが病気で急死
        :ジョージ6世よりロイヤルワラント(王室御用達)を授与。
  1940年頃:長男アルフレッド・ヘンリーが三代目社長就任。
  1942年 :デューク通り店と化粧品部門の工場が爆撃を受ける
  1945年 :アルフレッド(73)と愛人だったライト(43)と再婚。
  1948年頃:フィッシュテイル(1930s)にF/T刻印の追加
  1950年 :戦後最初のカタログを発行する。
  1951年 :二代目ハーバード他界。
  1952年 :Tanshell発売。(サルジニア産は1966年頃まで)
  1954年 :パテント番号終了。
  1959年 :1月2日アルフレッド他界(享年87歳)。一族と絶縁状態で末娘が数回会っただけでした
  1961年 :末娘のメアリーが四代目社長就任。
  1965年 :レンブラントグループ(ロスマンズの親会社)に買収される。
       :Shellが図抜けて旨い時期。黄金期のラスト・ガスプ(最後のあえぎ)(-1968年)
  1967年 :両子会社を合併させ「Parker Hardcastle」社にする。
  1969年 :オイルキュアリング終了。(1970年初頃まで在庫で残っている可能性あり)
  1971年 :三代目アルフレッド・ヘンリー他界。
  1972年 :RED BARK発売(1976年に 着色をダークに変更-1987年製造中止)
  1973年 :DRESS発売。
  1975年頃:コンピュータの導入で管理コードを4桁or5桁にする。アルファベット1文字が追加もある。
  1978年 :4桁(文字刻印含む)に統一する。
  1979年 :CUMBERLAND発売
  1980年 :CHESTNUT発売
  1981年 :タバコ生産をダンヒル社からマレイ社に移管
  1983年 :ビル・テイラー(38歳)が独立し「Ashton」を創業。オイルキュアリングパイプを販売。
       :レス・ウッド夫妻が 独立し「Ferndown」を創業。オイルキュアリングパイプを販売。
  1988年 :四代目メアリー他界。リチャード(次男ヴァーノンの息子)が五代目社長就任。
  1993年 :リシュモングループに買収されるが、タバコ事業は嫌厭されロスマンズ(現BAT)へ売却。
  1995年 :丸ダンにロゴを変更。AMBER ROOT発売
  2002年 :ホワイトスポットにロゴに変更
  2005年 :タバコ生産をマレイ社からオーリック社に移管
  2009年 :「Ashton」のビル・テイラーが他界。Jim Craigが後任
  2011年 :ダンヒル社パイプ部門から新会社ホワイトスポット社に変更。
  2016年 :「Ferndown」はほとんど製作しておらず2016年末に引退を表明している(pipes2smoke.com)
  2017年 :親会社リシュモンは、元バーバリーCEOのAndrew maagを社長にし一族経営を終える。
       :当然、新社長もたばこ事業に関わっていた事はひた隠し。(アルフレッドが草葉の陰で泣いてる)
  2018年 :パイプタバコ販売を終了。レシピはピータソンが引き継ぐ
 
 
 ・GBD (Cadogan)
  1850年 :パリで3人のパイプ職人(ガヌヴァル、ボンディエ、ドナンジ)が頭文字とってGBD社を設立。
  1860年 :オッペンハイマーが、英国でパイプの輸出入会社を設立。
  1880年初:オッペンハイマーが、サンクロードに、後のカドガン社である「シナ&シイ」を設立。
  1903年 :オッペンハイマーは、GBDを買収し実質の支配権を得る。
  1900年頃:GBDはイギリスにヘッドオフィスを移す。
  1925年代:オッペンハイマーグループが、Loewe(1856年創業)を買収
  1930年 :オッペンハイマーがカドガン社を設立(ロンドン本部、サンクロード支部)
  1937年 :GBDは透明素材Perspexのマウスピースを採用
  1950年代:カドガン社は、ブライヤー原木を扱う会社を次々と買収する。
  1958年 :GBDは100年続けたパリ工場は閉鎖し、サンクロードに本拠を移す。
  1970年末:GBDは実質支配下にあったカドガングループに正式参入する。
  1979年 :カドガンは、Civic(1921年創業)を買収。
  1980年 :カドガンは、Comoy(1825年創業)とBBB(1846年創業)とOrlik(1899年創業)とWeingott(1859年創業)を買収。
  1980年代:GBDパネルロゴが単純なスタンプになり凋落す。(三兄弟が草葉の陰で泣いてる)
       :Pipediaにはこう記されています。カドガンに買収された会社は殺されたようなものだと(-人-)
 
 ・KB&B (Kaywoodie/YelloBole)
  1851年 :ドイツ移民のカウフマン兄弟がNYでKaufmann Bros & Bondy Inc(KB&B)設立
  1881年 :米国が主になり、クローバーマークを採用する
  1898年 :KB&B社がCPF社(1851創業)を買収。
  1908年 :新素材ベークライトのマウスピースを採用したBLUE LINE(-1914)を発売。
  1915年 :KaufmannのKaと Bondyのdieを併せてKaywoodieを発表。
  1919年 :Dinwoodie(-1924)を発売。
  1920年代:Kaywoodieは、スムース(DRINKLESS表記)とブラスト(Thorn)のみ
  1924年 :刻印のイン・クローバー「KB&B」で、中央の「&」がなくなる
  1930年 :S.M.Frank社はパイプフィルターで財をなす。(KaywoodieもS.M.Frankと資本関係あり?)
  1931年 :シンクロロック(ネジ込み式のステム)を採用する
  1932年 :KB&Bブランドにセカンドラインの「Yello-Bole」を加える。「Honey Cured Briar」と刻印(-1936)
  1936年 :Kaywoodieは世界最大のパイプメーカーとなる。(500人を超える労働者を雇い、一日で1万本もの生産)
       :Kaywoodieは独立会社となり、KBBの刻印がなくなる。
  1938年 :この年まで4桁の数字が打たれており、これ以前のパイプは"4digit"と呼ばれる。(一部2桁あり)
       :Kaywoodieロンドンオフィスを設立するが、経営はComoyが行う。
       :Yello-Boleの刻印が「Cured with Real Honey」に変更。
  1940年代:1950年代までステムの上にあったロゴが、ステムの側面になる。(一部例外あり)
  1943年 :Kaywoodie社は大戦のどさくさを利用し、アルジェリアンブライヤーの百万ブロックを買い占める。
       :KB&B社はブライア不足で、アメリカで近似種の栽培を行うが失敗する。
  1950年 :1955年までシンクロロック(ネジ込み式のステム)をやめる。
  1955年 :S.M.Frank社がKaywoodieとKB&B(Yello-Bole)を独立会社から部門化する。
       :Yello-BoleのKBB刻印イン・クローバー・ロゴがなくなる。
  1966年 :Yello-Boleに耐熱樹脂タイプが加わる。
  1970年代:ドラッグパイプ(安物)と呼ばれるようになり徐々に凋落する。(ブラザーが草葉の陰で泣いてる)
 
 
 ・Lillehammer (Kriswill)
  1830年代:木工彫刻家 Gudbrand Larsen氏はメシャムパイプに興味を持ちハンブルクやトルコで学ぶ。
  1844年 :ノルウェーのリレハンメルで、G・ラーセン・パイプ工場を開く。
  1860年代:ブライヤーでパイプを作り始める。
  1902年 :初代Gudbrand Larsen氏他界(87歳)
  1914年 :二代目August Larsen氏他界(60歳)。
  1916年 :家族経営を終了し、会社を法人化する。
       :初期:ブライア部「GL」刻印が縦長で、POSが「Made in Norway」
       :中期:ブライア部「GL」刻印が丸型
       :後期:ブライア部「G.L」(GL間に[.]が入る)刻印。POSが「Handmade in Norway」
       :グレード:BASTIA(Sandblast) < GLのみ < BEST MAKE < SUPER EXTRA
  1940年末:第二次大戦後、工房を一時閉鎖し、Stanwell社でOEM生産していた。
  1960年末:ダニッシュの勃興に押され、経営が悪化し始める。グレードの多様化。
  1970年初:ノルウェー工業デザイナーThorbjorn Rygh氏を招きデザインを依頼。
  1970年中:デンマークKriswill社(1955年創業)に買収される
  1979年 :経営難でリレハンメル工場を閉鎖。
  1980年初:Kriswillデンマーク工場も閉鎖。スペインのカタロニアに拠点を移す。
  1980年頃:パイプ作家エリック・ノールディング氏が引継ぐ。
  1994年 :リレハンメルで冬季オリンピックが開催されて、町の名前が有名になる
 
 
 ・Loewe
  1856年 :イギリス・ヘイマーケットに工房と店舗を開く。
  1900年頃:演劇俳優が愛用し、銀巻き高級ブランドとしてロンドンで人気を博す
  1920年 :シャンクの下面にシェイプ名が刻印される
  1955年 :L&Coの下にシリーズ名の刻印になる(Centurion/Original/Old English)
  1964年 :Civic社に買収されて工房を移転する。
       シリーズ名追加(Standard/Spigot/Mounted)
  1967年 :シェイプ番号に刻印が変更される。
  1979年 :商標がカドガン移る
  1980年代:カドガンはSouthend-on-Sea工場に買収メーカーを集約される。
  2007年 :ファーンダウンの銀巻き終了。カドガンでの販売終了?
 
 
 ・Oldenkott (Dobbelmann)
  1838年 オランダ人商人August Kerstenにより設立(1740年オランダWeespを買収)
  1921年 :ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州レースに最新設備の工場を建てる。
  1932年 :パイプ製造開始。
  1945年 :大戦で工場を失うが事業を再開する。
  1950年 :従業員500人でドイツで40%のシェアを占める。
  1962年 :倒産したDobbelmann社(1929年創業)の受皿となる
  1968年 :月4万本のパイプを生産し、ドイツで60%のシェアを占める
  1972年 :オランダのNiemeijerに買収される。年間15万本のパイプを生産
  1974年 :タバコ事業撤退、パイプ製造のみとなる
  1982年 :従業員を含む一部の資本がVAUENに移る
  1983年 :ポルシェデザインのパイプを発売
  1987年 :ドイツKerstenが再び買収
  1992年 :倒産。ポルシェデザインは、オランダのGubbels社(BigBen)が引き継ぐ。
  2012年 :会社は復活し、2019年現在もパイプを販売している。
 
 
 ・Medico(S.M.Frank)
  1900年 :Sam Frank氏がパイプやパイプたばこの製品を販売し始めた創業年。
  1933年 :パイプ及びパイプ用フィルターを販売する「Medico」創業。
  1937年 :S.M.Frank社がWDC社(1835創業)を買収
  1943年 :創業者Sam Frank逝去。友人のHerbert Schlossが社長就任。
  1952年 :KaywoodieとKB&Bを買収する。
  1964年 :息子のSam Frank Jr.がCEO就任。
  1966年 :ブロウラインと呼ばれる合成素材を開発しYellowBoleブランドで販売する。
  1972年 :買収した会社を統合し部門化にする。製造もライン化しカタログも統合される。
  1970年頃:ドラッグパイプ(安物)と呼ばれるようになり徐々に凋落する。
 
 
 ・Peterson
  1852年 :チャールズ・C・ピーターソンが生まれる。父もカップ家に努めていた
  1875年 :ドイツ移民カップ兄弟(フリードリッヒとハインリッヒ)がダブリンにたばこ店を開業。
  1878年 :チャールズ・ピーターソンとパイプ作りを開始する。
  1890年 :パイプ内部にジュースを溜め込むシステムを開発し特許所得。(1916年まで)
       :社名を「カップ&ピーターソン社」へ変更。
  1898年 :リップ煙道が上を向いている「ピーターソン・リップ」を開発し特許取得。(1922年まで)
  1915年 :ロゴ直線で「MADE IN IRELAND」国名はアイルランド連合王国(1801年から)
  1919年 :チャールズ・ピーターソン他界(享年67才)。アイルランド独立戦争(-1921年)。
  1922年 :ロゴ直線で「Irish Free State」国名はアイルランド自由国と呼称
  1937年 :ロゴ丸中に「Made in Eire」国名をエール(ゲール語)と改める
  1942年 :ロゴ丸中に「MADE IN IRELAND」エールが海外で通じないのでアイルランドに戻す
  1947年 :ロゴ直線で「MADE IN IRELAND」2年後の独立に備えて直線ロゴに戻す(国名が長い為)
  1949年 :ロゴ直線で「MADE IN THE REPUBLIC OF IRELAND」
       :4月18日「アイルランド共和国」として英国からの300年ぶりの独立をはたす。
  1960年頃:小型のSPORTSシリーズ(1~10)発売(-1980年頃)
  1975年 :創業100周年モデルCentenia発売
  1979年 :マーク・トウェイン・シリーズ(トムソーヤの作者)発売(-1981年)
  1987年 :シャーロック・ホームズ・シリーズ発売
  2019年 :ダンヒルのパイプタバコ事業を引き継ぐ。
 
 
 ・Ropp
 1869年 :Eugene-LeonRopp(1830-1907)が、チェリーパイプ特許を取得。
 1870年 :製造したいた村の名前である「Vosges montains(NE France)」と刻印(-1893)
 1893年 :チェリーパイプの輸出で大成功する。Sicard工場を新設
 1896年 :フランスのボームに最新で大規模な工場を建設する。
 1914年 :製造をメインとし、販売は英国BBBに委託する。
 1917年 :サン・クロードにブライアーパイプの工場を新設する。
 1923年 :年間53万本を生産する
 1930年 :オッペンハイマーグループに買収される。
 1934年 :経営から一族がいなくなり三代に渡って行われた家族経営が終了する。
 1958年 :年間20万本生産に縮小する
 1970年代:ブライアでユニークなシェイプを多く輩出する。
 1991年 :ボーム工場を閉鎖し、チェリーパイプの生産をやめる。
 1994年 :シャコムの親会社Cuty-Fortと合併する。
 1998年 :全て閉鎖し128年のROPPの歴史が終わる。
 
 
 ・Sasieni
  1883年 :Joel Sasieni氏誕生
  1910年 :チャラタンで勤めていたがダンヒルに初代工場長として引き抜かれる。
  1912年 :二代目Alfred Sasieni氏誕生
  1919年 :「Sasieni」を設立。
  1922年 :「One Dot」を廃止。登録意匠でダンヒルに敗訴
  1924年末:「Four Dot」を発売し大ヒットするた。小さなドットで淡いライトブルーで横に長い菱形。
  1927年 :「Eight Dot」を発売(左右からドットが見えるようにする為)
  1939年 :「Eight Dot」を廃止(生産効率が悪い為)
  1945年 :Joel Sasieniが他界(享年63才)
       :ドットカラーが物資不足でペパーミントグリーンになる(~1950年頃)
  1950年中:ドットカラーがライトブルーでサイズが大きくなり菱形も縦横比率が同じになる
  1960年代:「Two-Dot」を発売。ドットカラーがが濃いライトブルーへ
  1979年 :Transition社に買収され、徐々に凋落する。
  1986年 :二代目Alfred Sasieni氏退社。(リトルジョーが草葉の陰で泣いてる)
  1989年 :「4 Dot」と刻印変更。
       :現在の詳細は不明ですが、カドガングループが委託生産を受けているようです。
  1992年 :二代目Alfred Sasieniが他界(享年80才)
 
 
 ・Savinelli
  1876年 :アキレ・サビネリ・シニアがミラノに喫煙具を販売するパイプショップを開く。
  1890年 :彼の息子カルロ・サビネリが家業を継ぐ
  1918年 :孫アキレ・サビネリ・ジュニア(1918-1987)が生まれる。
  1920年 :ミラノ北部ヴァレーゼ地方の職人と協力し、Savinelliのパイプを販売
  1948年 :三代目アキレ・サビネリ・ジュニアがヴァレーゼに工場を作り、職人15人を雇い高級パイプ路線で生産する
  1950年代:事業を拡大し工場の従業員は約50人、1日約1000本のパイプを生産体制にになる。
  1960年 :シェイプ番号を4桁から3桁に変更する
  2011年 :四代目ジャンカルロ・サビネリがCEOに就く
 
 
 ・Stanwell
  1942年 :ポール・ニールセンは、戦時下ブライアーが入手できず、ブナでパイプを作りと販売を始める。
       :社名はKyringe社、後のStanwell社。(後に自分の本名もスタンウェルに改名する)
  1945年 :Stanwell社は、戦後の困難な時期にデンマークへブライアー輸入ルートを築く。
  1950年 :スタンウェルがスーアと交渉し、シクステン・イヴァルソンをパイプ作家として独立させる。
  1955年 :シカゴ・イワンリース店がダニッシュパイプを宣伝し、北米でダニッシュブームを引き起こす。
  1950年中:Stanwell社はパイプ作家とデザイン契約を受け量産化しアメリカ市場で業績を伸ばす。
  1950年末:この頃からステム刻印「S」の上に王冠が着き、グレード(白色<真鍮<銀)が別れる。(一部例外有り)
  1965年 :ボルブに最新工場を建設、高品質で高いデザインを量産し世界的なメーカーとなる。
  1970年頃:REGDコードの刻印廃止。
  1980年頃:上位モデルのステムに「Handcut」刻印が入り始める。
  1982年 :ロスマンズ・インターナショナル(親会社はレンブラント)に買収される。
  1990年頃:StanwellとLarsenの合併
  1995年 :マウスピースにアクリルを使用開始。一部のモデルに「S」の下に「ドット」が入る。
  2003年 :スカンジナビア・タバコ・カンパニー(STG)に買収され、Larsenはパイプ製造を中止。
  2007年 :ポール・スタンウェル逝去。
  2010年 :親会社STGがスウェーデン・マッチに買収され、他のパイプ事業と統合する。
        :ボルブ工場閉鎖しイタリアで生産する事となる。(ポールが草葉の陰で泣いてる)
 

 ・Tsuge
  1936年 :柘恭一郎が象牙ホルダー製造する製作所として独立。
  1945年 :進駐軍を中心にパイプの製造と販売を開始する。
  1970年代:福田和弘・佐藤純雄を含む6名の職人を技術習得の為、デンマーク・イタリアに派遣。
  1978年 :オリジナルのハンドメイドパイプの「IKEBANA」を販売。
  1981年 :柘恭一郎が勲五等瑞宝章を授与
  1987年 :柘恭三郎はドイツ・タバコ・コレギウムから「パイプ騎士」の称号を得る。
  1996年 :柘恭一郎引退。
  2010年 :柘恭一郎他界。享年99歳。
  2011年 :柘恭三郎が4代目社長に就任。
  2013年 :オーストリアのオイルライター「イムコ」ブランドを引継ぐ

 

 ・Vauen
  1848年 :カール・エレンバーガーとオーグスト・ジナーがニュールンベルクでパイプを作り始める。
  1873年 :ウィーン万博で初のメダルを獲得。
  1876年 :フィラデルフィア万博で金メダル獲得。
  1906年 :ニュールンベルクの万博で金メダル獲得。
  1909年 :初代アドルフ・エッカートが「Vauen」として創業。
       :発祥地「Vereinigte Pfeifenfabriken」と「Nuremberg」の頭文字からの名称。
  1912年 :ダンヒルとホワイトスポット刻印で敗訴。
       :ドイツとオーストリアのみ白色。それ以外の国は灰色に変更する。
  1921年 :世界初のパイプ用の簡単なペーパーフィルターをを開発。
  1930年初:「クロス・パイプ・ロゴ」を刻印(1950年初頭まで)。
  1934年 :世界初のパイプ用9mm活性炭フィルターを開発。「Dr.Perl」を発売。
  1945年 :二代目エルンスト・エッカートが第二次大戦後の工房を復興。
  1968年 :フィルターが毎年約1億5000万本の出荷となる。
 
 
 ・W・O・Larsen
  1864年 :コペンハーゲンのアマガトルフ通り9にW.Ole.Larsen氏がパイプの小売店を開く。
  1926年 :デンマーク王室御用達となる
  1945年 :スベンド・バングを店長にし、タバコの調合や経営を任せる。
  1960年初:イバルソンなどのハンドメイドパイプを販売する。
  1963年 :店長S.Bangが、店舗の地下室と、自社の葉巻工場にパイプ工房を作る
  1963年 :スベン・クヌードセンとフォーマー(H・J・ニールセン)を雇う。
  1963年 :ポール・イルステッドを雇う。
  1965年 :ポール・イルステッドが独立
  1968年 :スベンド・バング独立。後任はテディ・ヌードセン
  1970年 :テディ・ヌードセン独立。
  1975年 :フォーマーがスイスにベントレーに移籍。
  1980年中:Ole.Larsenは健康を理由に、息子のNils.Larsenに継がせる
  1980年末:Nils.Larsenは、Georg Jensen工房を買収し、ローエンド市場に参入する
  1990年頃:経営不振で、Stanwellに買収され商標も移る。
  2003年 :パイプ工房を閉鎖し、Stanwellのブランドの一部になる。
  2004年 :12月31日、140年続いたアマガトルフ通り本店も閉店する。
 
 
 ・系譜図

    Clip_1_2    
 
 デンマークのパイプ工房
    → 内部Link
 
 
<2.ハンドメイドパイプの系譜>
 ・スーアパイプ (テォフィル・スーアが戦前にひらく小売店と小さな工房)
  シクティン・イバルソン(ハンドメイドパイプ創始者1910-1950独立-2001)
   →1.息子 ラルス・イヴァルソン(1945-2018)
   →娘 ナナ・イヴァルソン(ラルスとは異母兄弟)
    →孫 シクティン・イヴァルソン(2008-) 祖父と同じ名前
   →2.弟子 ボ・ノールト(1941-2006)
   →3.弟子 ヨーン・ミッケ(1938-2005)
    →弟子 トーベン・ダンスク
    →娘 マレーネ・ミッケ
   →4.弟子 アルネ・ユング(1913-1998)
   →5.弟子 エミール・コノウィッチ(1920-1992引退-1996)
   →6.弟子 イエス・コノウィッチ(1947-)
   →弟子 徳富博之(1948年生 - 1975年デビュー)
  (数字はイヴァルソン6人の直弟子)
  (深代の雑誌で弟子を聞かれ、ラスムッセン、Eコノウィッチ、ミッケの3名をあげた)
 
 ・ラスムッセン(スーア二代目店主)
  ポウル・ラスムッセン(イヴァルソン親友)(1921-1967)
    →弟子 エミール・コノウィッチ(1920-1992引退-1996年)
     →息子 イエス・コウノウィッチ(1947-)
    →弟子 テディ・ヌードセン(1947-ラールセン-1970に弟と独立)
    →弟子? ゲルト・ホルベック(ダンパイプへ)
  アンネ・ユリエ(ラスムッセンの妻だが師はフォーマー)(1940-)
    →弟子 トム・エルタン(1958-)
    →弟子 スヴェン・ヌードセン(1970に兄テディ工房に参加)
    →息子 バーナード・ユリエ(1965-)
 
 ・ラールセン工房 (デンマーク王室御用達 1964-2003)
  フォーマー(本名 H・J・ニールセン)(1941-)
  スベンド・バング
  ポール・イルステッド(1946-)
 
 ・ダンパイプ(1943-1991)
  ダン・クリステンセン(?-1974年)
  ゲルト・ホルベック(1928年生-2007引退 - 2022年没)
 
 
 ・日本のハンドメイドパイプの草分け(一応)
  浅利法生(1948年生 - 画家)
  徳富博之(1948年生 - 1975年デビュー - 1976年イヴァルソンに学ぶ)
   →弟子 北原栄一(壱)(1970年生 - 2003年弟子入り - 2006年デビュー)
   →弟子 来栖零一(RAY)(1977年生)
   →娘  徳冨優紀(2005年デビュー)
  佐藤純雄「角純」(1944年生 - 柘植で25年勤務 - その後独立 - 2023年)
  樋口純一郎(1930年生 - 1974年デビュー - 2015年引退)
  有田静生(1935年生 - 1977年デビュー - 2023年)
   →息子 有田岳生(1971年生)
   →弟子 但馬達生(1955年生 - 2009年デビュー)
  早船雅人「GAJIN」(1975年デビュー)
  <メーカー>
  深代勉(1927年生 - 1968年ツトム・ハンドメイド発売)深代製作所チーフ
  貝瀬忠衛(1937年生 - 1953年深代製作所入社)
  福田和弘(1935年生 - 柘製作所 - 1970年代イヴァルソンに学ぶ)イケバナ担当
  大井誉四郎(1948年生 - 柘製作所)イケバナ担当
  <セミプロ>
  湯川「T.YUKAWA」(1970年代 - 本業は公務員)
  柳原重義(早船雅人氏、但馬達生氏などに指導)
  渡辺せつこ(1978年デビュー - 主婦で30数本制作し引退?) アンネ・ユリエより早いので世界初の女性パイプ作家?
 
 
<3.ブライヤーの産地>
ブライヤーは、ツツジ科ホワイト・ヒースと呼ばれる潅木の根塊(英語: tuber)。
地中に埋もれる性質を持つ茎で、構造は地上の茎と同じです。
地中海が原産の稀少な材料で、ギリシャ・イタリア南部・コルシカ・南フランス,スペイン,アルジェリアなどで岩が多い斜面に自生する。
根塊は50年で20㎝程の大きさになり、耐熱性・多孔質を生かしパイプの主材料として使用されています。
掘り出した直後は亀裂が入りやすい為、湿度の高い11月~3月に採取する。(他の時期はコルクやオリーブを採取)
 
グレインは根瘤の中心から放射状に伸びる導管で木目ではありません。
木目はグレインと直交するように薄らと見え、サンドブラストをかけると姿を現します。
 
戦前は地中で200年以上眠っていた最高品質のブライアーが多くありました。
しかし、パイプブームで採掘れ尽されてしまい、現在は入手できないと言われております。
 
 カラブリア/シチリア島
  ダンヒルのリュイエールで使用。
  木質が固くスムースに利用。
  シチリア産は1986年のエトナ山噴火で流通がかなり減った。
 
 アルジェリア
  ダンヒルのシェル/バーリング/チャラタン(Lean前)/Kaywoodie(4桁)/Comoy(高級モデル)等で使用。
  ブライアーの中で一番柔らかく多孔質な為、最高の品質と言われた。
  その為、戦前には乱獲され、更に1962年にフランスから独立し輸出が衰退。
  最後のアルジェリアンブライヤー原料メーカーは1970年末に廃業し、完全に流通が途絶える。
 
 ・モロッコ
  戦前はよく採掘されていた。
  現在は「ファーンダウン」が使用している。
 
 コルシカ島/サルジニア島
  ダンヒルのルート/タンシェル(1966年頃まで)で使用。
  高級でやや硬い。
  現在は「SAVINELLI」「Mastro de Paja」がメインで使用している。
 
 ・ギリシャ(グレシアン)
  ダンヒル(1970年以降)、Laneチャラタン、ロウ、アプシャルで採用。
  硬く主にスムースに利用される。
  主にギリシャ西部で取れるものがフローが少なく安定した品質とされる。

 ・キプロス島
  埋蔵量が多く安価。
  グレインがあまり出ない無いのでラスティックかサンドブラストに利用される。
 
 ・リグリア/トスカナ
  トスカナは「アッシュトン」がブラストで使用。
 
 ・フランス/スペイン
  アルプス山脈。
  スイス国境のジュラ山脈(サンクロード周辺)も産地でしたが、取り尽されてしまったようです。
 
  Map
 
 
 ・その他
 
  ・ブライアーのランク
    SS:エクストラ・エクストラ(最上級)
    S:エクストラ
    1:プレミア(First)
    2:ドゥージエム(Second)
    3:トワジエム(Third)
 
  ・ブライアーのカット
    デミリュンヌ(DEMI LUNE):根隗を縦に半分した形で「半月」の意味
    プラトウ(PLATEAUX):表面の凹凸が残ってい2番目に大きい形で「高原」の意味
    エボーション(EBAUCHON): パイプを作る大きさまで刻まれた形で「下地」の意味

    ブライアーは芯の部分は使用しません。。
    一番外側のラフを残しパイプに使用されます。
 
  ・エボーションの種類
    マルセイエーズ(MARSEILLAISE-マルセイユ人):一番外側の部分でストレート用
    ルルベ(RELEVEES-フランスの古語で午後):一番外側の部分でベント用
    ポンピアー(POMPIER-仰々しい):中間の部分でオウムポウルや、万年筆に利用
    ティジェ(TIGE-茎や幹)・カーレー:芯に近い部分でシガレットホルダーに利用
 
  ・ブライアーの採掘 「ザ・チーム・スネーク」
    ブライアを実際に掘っているランバージャック達の記事です。
    上記ホームページの中の下あたりの記事になります。
 

 日本のパイプ作家の方の話を聞くと、ブライアの購入はイタリアのMimmo社が多いです。
 

<4.銀巻きのホールマーク>
 英国パイプの銀巻きや金巻きには「ホールマーク」があります。
 英国銀製品は古くから厳正な審査にのっとった品質を保証するマークで、パイプの製造年を特定できます。
 
 13世紀エドワード1世 (イングランド王)は他国の質の悪い銀貨と混ざることを避けるため、銀貨の輸出を禁じました。
 しかし、密輸が絶えない為、銀貨にヒョウの顔の刻印を押すことで、他国の粗悪な銀貨の流通を防いだ事が始まりです。
 その後、1327年ロンドンにアセイ・オフィス(試金鑑定所)という金属分析鑑定を行う公的機関が発足します。
 
 これにより英国の銀製品は、世界に誇る品質と信頼を得る事になります。
 
  5_2
 
 1.メーカーズ・マーク
  それぞれの生産者のマーク。
  通常、メーカーの名前が2、3文字のアルファベットに短縮された形で表されている。
    「EB・WB」:バーリング
    「AD」:ダンヒル
    「HC」:コモイ
    「L&Co」:LOEWE

 
 2.スタンダード・マーク
  獅子の全体像が描かれている、銀含有率92.5%を超えるマークです。
  英国王の紋章Lion Passant(ライオンが右前足を上げている歩態)=「品質を保証する」という意味にもなっています。
  1974年頃までは、王冠をかぶった獅子の顔の場合もある。
  また、1975年以前「ブリタニア像」と呼ばれる王冠をかぶった獅子の全体像(純度95.84%)もある。
 
 3.メタル&ファインネス・マーク
  含有量を表すマークです。
  パイプでは、強度の関係から銀巻は「925」、金巻は「9-375」がほとんどです。
  刻印する十分な場所がないため省略される事も多いです。
 
    「925」:銀の純度92.5% スターリング・シルバー
    「958」:銀の純度95.8% ブリタニア・シルバー
    「999」:銀の純度99.9% 純銀
    「9-375」:金が37.5%で9カラット 
    「18」:18金が75.0% 
    「22」:22金が91.7%
    「24」:純金が99.9%
  金は、海外では「18K」で、日本は造幣局が定めた経緯で「K18」と刻印されます。
  海外表記は「あとK」と言われ、含有率の信頼性が低いそうです。
 
    その他の合金として、ニッケル巻は戦前から多くあります。
   また、安価な真鍮巻や、近年ではチタン巻も見るようになりました。
 
 4.アセイ・オフィス・マーク
  どこのアセイ・オフィスでホールマークで検定されたか分かります。
     1
   「豹」:ロンドン・アセイ・オフィス(Dunhill/Barlingなど)
     1327年、英国で初めに分析鑑定の専門組織として承認されたオフィス。
     1697年から1719年は横向きのライオンが代用されていた時期があります。
 
   「錨」:バーミンガム・アセイ・オフィス(Comoy/BBB/Loeweなど)
     シルバー製品の名産地だったことから1773年に創立。
     1973年の製品には創立200年を記念した特別印が押されている。
     アンカー(錨)マークが横向きになっていれば金かプラチナです。
 
   「王冠」「薔薇」 :シェフィールド・アセイ・オフィス。(Leeds期BenWade)
     燭台の名産地として有名でヨーク・ローズと呼ばれる刻印。
     1974年12月までは王冠のマークを使用していた。
 
   「城」:エディンバラ・アセイ・オフィス。
     シルバーの分析鑑定に関しては、15世紀半ばからの歴史がある。
     イギリスで最も長い歴史を誇るキャッスル・ロック要塞「エディンバラ城」が刻印
 
   その他、現在は閉鎖しましたが、チェスター(麦)、ダブリン(ハープ)等があります

 
 5.デート・レター
  枠とアルファベットの組み合わせです。
  大文字・小文字、ブロック体・飾り文字、枠の形と組合せで、何年に刻印が行われたか示す仕組みです。
  つぶれて読みにくい場合は、アセイマークと比較し縦横比であるていど推定できます。
 
  「ロンドン」
    2_2
 
  「バーミンガム」
    3
 
  「シェフィールド」
  Sheff_2
 
 
  「アイルランド/ダブリン」(Peterson)

    ダブリンの アセイオフィス・マークは「女神ヒベルニア」です。
    スターリングシルバーを示すメタル・マークは古いものは「ハープ」が刻印されます。
 
  Clip_2
 
    「ダブリン」(Peterson)
  Dub_2
   ダブリンの古いパイプ刻印は、一つ上の手書きの方が判別しやすいです。
 

 6.シルバープレート(銀めっき)
  銀巻には、ニッケルのシルバープレート(銀の電気メッキ仕上)があります。
  (1842年にバーミンガムのエルキントン社が開発)
  「メーカー」「都市名」「創業した年代」が刻印されます。
  製造年は判別できませんが、1970年代以前のパイプになります。


 7.銀の含有量
 
  SV1000:純銀。
  SV999:コマーシャルシルバー。トリプルナイン。純銀として流通する。
  SV958:ブリタニアシルバー。柔らかすぎて実用性に乏しい。
  SV950:五分落ち、メキシカンシルバー。実用的な硬さだがほとんど普及していない。
  SV925:スターリングシルバー。イギリスで純銀の基準として規定されているシルバー。
  これより純度が低い銀は「ソリッドシルバー」と呼ばれて区別される。
 
  SV900:コインシルバー。硬貨に多く使われたシルバー。合金の配合でピンクSVやイエローSV等がある。
  SV833:ダッチシルバー。純度83.3%の銀。オランダの標準的な銀の規格。
  SV830:純度83%の銀。細かな加工性に優れ、強度が高く色合いも良い。
  SV826:ダニッシュシルバー。純度82.6%の銀。デンマークの標準的な銀の規格。
  SV800:ジャーマンシルバー。ドイツの銀食器などに使われる。
  イギリス以外ではSV800までが銀として認められることが多い。


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