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2016/11/07

Dan Shape-Refomed Standard

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1943年ドイツ占領下にあるコペンハーゲンでH・ダン・クリステンセンが開いたパイプショップ。
ゲルト・ホルベックなど名だたるパイプ作家をデザイナーに迎え、一世を風靡したダニッシュブームの一翼を担ったメーカーです。
 
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火皿にステムが鋭角につながるシェイプは、会社のロゴに採用しているダンを代表するデザインです。
広告には「1.Even」「2.Longer」「3.Cooler」「4.Dry」の4テーマがるあると記載されています。
 
  1.喫煙時火皿が垂直に向くとうに設計されている → どのパイプも同じ吸い味
  2.火皿が高い → 長時間吸える
  3.火皿が小口径(12~17mm) → クールスモーキング
  4.簡単に最後まで吸える → ドライスモーキング
 
ダンが「Shape-Refomed(改良されたシェイプ)」とし、世に出したパイプを堪能してみたいと思います。
 
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マホガニーカラーで、綺麗なグレインがパイプの中を通る煙のように見えます。
ボウルふちが極わずかにラウンド処理されており、やわらかい印象を与えます。
 
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 ・全長:140mm・ボウル高56mm
 ・外径:27mm・内径:17mm・深さ52mm
 ・重量:36.1gが
 
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あっちこっちに「DAN」の刻印がされていて、どんだけ自分の名前が好きやねんと思いますが・・・
 
  左「DAN SHAPE-REFORMED」
  上「PIPE-DAN
  右「PIPE-DAN COPENHAGEN」「DU」
  ステムに金色で「DAN
 
ダンパイプは本店で販売時は、製品保証の為に販売年月・値段(クローネ)をお店で刻印していました。(例:120と912の場合、1969年12月販売120クローネ)
このパイプはその保証刻印がありませんので、タバコニストへ卸していたモデルのようです。
「DU」は製作者のイニシャルになりますが、詳細はわかりません。
 
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 外観:3
 感触:3(咥え心地)
 味:3(オールラウンド)
 
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チムニーの細長いボウルは、下層の燻されるタバコの香りを楽しむ事ができるので好みです。
17mm以下の内径にカーボンを付けると15mm以下になります。
燃焼速度が安定しているタバコ(オーリックGS等)を選ぶ必要がありそうです。
 
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濃い味ではありませんが、ブライアの香りが良く美味しいパイプです。
ダンはホルベックのパイプをお店で見つけた時「俺の考えたシェイプをマネするな」と怒鳴り込んだそうです。
その後、誤解が解け、親友となったホルベックを雇う事になるのですが、それぐらい思い入れのあるシェイプだったのですね。
そんなエピソードに思いをはせながら一服すると、美味しさもいっそう増します。(後述)
 
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[DanとHolbekの年譜]
  1928年 :ゲルト・ホルベックが生まれる。
  1943年 :H・ダン・クリステンセンが、大戦下のコペンハーゲンで開店する。
  1953年 :ゲルト・ホルベックはスーア・ラスムセン工房に勤める。
  1955年 :シカゴのイワンリース店がダニッシュを宣伝し、北米を中心にダニッシュブームがおきる。
  1956年 :ホルベックを専属パイプ作家として契約する。(ローランやポール・ハンセン等も)
  1960年初:カラーで美しいパイプを掲載したカタログを発行し、アメリカ・日本で脚光を浴びる
  1963年 :プレーベン・ホルムが入りパイプを販売(~1968年)
  1974年 :ダン・クリステンセン他界。インゲ・ダン夫人が経営を引き継ぐ。
  1980年頃:ダニッシュパイプブームの終焉。徐々に品質が低下しはじめる。
  1991年 :ダン閉店
  2007年 :ホルベックが引退する。パイプ製作数は6662本。
         隠居後はデンマーク北部ニュージーランドの自宅で小説家を書いている。
 
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晩年の写真は好々爺ですが、ダンもホルベックも若い頃はすごく頑固そうな顔してる。
 
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ゲルト・ホルベック(Gert Holbek) 1928年生まれ-88歳(2016年)
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ゲルトは1928年に技師の父もと10人兄弟の長男として生まれました。
父親はいつもパイプを咥えており「おむつの交換さえ灰をまき散らす」と妻を嘆かせていたそうです。
1945年終戦と同時に学校を卒業しますが、就職難の時代で農家・園芸・大工と職を転々とする事になります。
その後の経緯は不明ですが、修道院で修道士となり勉学にも励み勲章を授与されるまでに至っています。
しかし、失恋を機に修道士辞め、その後し結婚、子供も生まれますが定職には就けませんでした。
 
1953年、広告で見つけたスーア店でパイプの修理の職に就きます。
前任にイバルソンがいますが、スタンウェルが後ろ盾になって1951年に独立しているので、時期的に重なっていません。
修理の専門に雇われていたようです。
後年「スーア店でパイプをつくる事を許されていたのですか?」との記者の問いに・・・
「ただ一つ!」ニコリと笑って「私はポール(ラスムセン)が、それを作るのを見ていただけだ」と答えたそうです。
 
1956年に修理依頼が減った事を理由にスーア店を解雇されます。
パイプを作りで細々と糊口しのいでいたゲルトの前に「俺のパイプのマネをするな!」と怒鳴りこんできた男が彼の運命を変えます。
誤解は解け、親友となったダン・クリステンセンは、ゲルトを専属の作家として迎え入れます。
ダンパイプはカラーで美しいカタログを作成し、北米や日本で紹介すると瞬く間に絶大な人気を博する事になりました。
 
ゲルトは母国デンマークではその存在がほとんど知られていないそうです。
パイプクラブ参加せず、また取材にもほとんど応じていませんでした。
工業デザイナーとしての副業もあり、若手デザイナーの講師としても務めていたそうです。
 
空前のダニッシュブームも終焉を迎えた1974年、盟友ダンが他界します。
1991年にダンパイプは閉店、ジョージ・ジェンセンの元に入りましたが腱鞘炎を患ったり、高齢の経緯もあり製造数は減っています。
2002年に引退宣言し、コペンハーゲンから北に50km程のニュージランドの自宅で小説家を目指しているそうです。
その生涯で作成したパイプは、6662本と記録されております。
バイキング小屋を模した茅葺屋根の自宅には、すぐにでも動かせる旋盤や電動サンダーが一式そろっているそうです。
 
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ホルベック氏曰

「私の人生で完璧なパイプを作ろうとしたが、それ以上のものを作ってはいけない」
 


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